いかに、人々が「子育て」に苦労しているかの表れであります。
教育勅語といえば、忘れられていた「徳育」を思い出します。
学校教育の三本柱、「知育」「体育」「徳育」。その「徳育」とは、「社会や共同体において、秩序を保つために自然な心ある行動を促す教育」と定義されており、「徳育」によって育成されることは、1、自分に関すること。2、他人とのかかわりに関すること。3、自然や崇高なものとのかかわりに関すること、の3つが挙げられています。
この順序を逆にし、まず、「自然や崇高なものとのかかわりに関すること」を徳育の第一眼目とし、崇高な世界観のもと、自然に親しみ、美しいものに感動し、人間の力を超えたものに畏敬の念を抱ける、尊い人生を確立したいものであります。
これは、キリストの精神でもあり、「子育て」の目的とし、その結実を期待したいものであります。