ところが人間のあいだでは、「社会の役に立つ人間には生きる価値があるが、役に立たない人間には生きる価値がない」という考え方がまかり通っている。病気にかかって働けなくなった人が「わたしは社会の役に立っていないから生きる資格がない」と思い詰めて自殺を試みるという痛ましい話から、若者が「社会の役に立たない人間には生きている資格がない」と考えて障害者を殺害するというひどい話まで、人間社会のあちこちでこの考え方が悲劇を引き起こしているのだ。
「この命には生きる価値があるが、あの命には生きる価値がない」とか「わたしの命の方が、あの人の命より価値がある」などと、いったい誰が言えるだろうか。どんなに頑張っても、人間の力だけで命を作り出すことはできない。すべての命は神から与えられるものであり、人間は結局のところ、命の神秘の前にひざまずく以外にないのだ。
思い詰めて「社会の役に立たないから、わたしには生きる価値がない」と考えるとき、あるいは思い上がって「あいつは、社会の役に立たないから生きる価値がない」と考えるとき、わたしたちは大きな考え違いをしている。
命の価値は、人間が決めるものではない。神によって創られたというだけで、精一杯に生きているというだけで、すべての命には限りない価値があるのだ。