右近も、最初から「真のキリスト者」にふさわしい人間だったわけではありません。彼も、戦国時代の価値観、権力や力に重きを置く精神に感化され、「自分」の名誉のために、死を厭わずに戦おうとする「英雄」にあこがれていました。そして、彼は、「信仰の戦い」においても、常に「自分」に中心を据え、自分の信仰を確信していました。しかし、様々な時代的背景と自分の無力さと人間的欠如を自覚する体験を通して、神のあわれみに目覚め、徐々に、神に自分自身を委ね、神の恵みによって自己を他者に明け渡して、キリストの模範に倣う「愛の人」、真に神の愛のためにいのちを懸ける人に変えられていったのです。
右近の内的な成長過程は、同じ人間として、大変興味深く、親しみと感銘を覚えます。右近の生涯は、右近が自分らしく生きるために、常に大切に心に抱き続けてきた「自分の命を捧げる」という望みを生きたように思えます。そしてそれは、彼がキリスト者になる以前から神によって導かれ、神をあかしするために、「殉教者」としての道を歩むように、神が準備された道のりであり、右近自身の神への応答だったのだと感じます。
司教様のお話では、右近の殉教は、一挙に殺される場合と違って「自分の意に反してゆっくりとキリストのために長く死んでゆく」という事でした。そしてそれは、自分の人生に与えられた苦しみ、十字架を背負いながら喜んで生きる、という現代の私達の歩みに与えられた殉教の意味だと結んでおられました。
さて、私も私なりに、自分を主なる神様に捧げて生きたい、残された人生は特にそうありたいと願うのです。
そういう私の暮らしは、身の周りの楽譜の山や、メモや予定表の紙が積み上げられたり、それが崩れて散乱したりして足の踏み場も無く、何がどこにあるのか、もはや分からない中で行われます。その中から、目的の楽譜なり予定表なりを根気よく探す、これは疲れます。これも、もしかして私の殉教の一部?かもしれません。
私が生活すると「意に反して」こうなるというところが、私が右近に似ていると言えませんか(言えません!との声)。
どうやら私が若かった頃、修道者だったあの頃も、私の室内は今と似た状況だった事を思えば、これはむしろ、私らしいのかも知れず、であれば、もはやお手上げという外ないかも知れず・・・。