高山右近は、織田信長、豊民秀吉に仕えた、代表的キリシタン大名。イエズス会修道士に感化された両親の影響で、12歳のとき洗礼を受け、カトリックになりました。時まさに戦国時代、激動の波に翻弄されながらも、信仰を堅くもち続け、福音宣教、高槻城主時代には、領地内の住民、七割が信者になりました。秀吉の側近などにも、臆せず入信を進めたということもあって、秀吉からは、棄教命令が出ましたが、これを拒否、大名としての地位や領地を奪われてまでも、信仰は貫き通しました。
江戸幕府からは、国外追放され、フィリピンのマニラに逃れました。宣教師の報告で、有名になっていた右近は、マニラでは、スペイン総督からも大歓迎されたのですが、残念ながら、船旅の疲れや慣れない気候のため、すぐに病をえて病死、享年64才でした。
4百年の時を超え、福音を日本に根付かせたいという右近の大きな夢は、日本カトリック教会の行く手を示し、勇気を与えています。
私どもは、一人ひとり、今こそ、真摯に、右近の精神を顧み、それぞれの立場から、人々の安寧と平和実現のため、一層の努力を重ねなければなりません。右近列福の喜びとともに。
実生活のなかで神を感じ、信仰を表現していく右近の生き方、今のわたしたちにとって大きな励ましであり、慰めでもあるなとわたしは感じます。
「らしさ」というのは、その人の個性であり、その人たらしめる特性ともいえるものではないでしょうか。「女性らしさ」を感じるとか、「男性らしさ」を感じるとは、一人ひとりによって、その中身に違いがあるのではないかと思います。要するに、一人ひとりは等しく魅力ある資質を備えているのです。だからこそ、その人生を振り返ったとき懐かしい思い出、体験を一人ひとりは持っているのです。その上に今の「わたし」があります。
そして、それは子ども、孫、後世の人に引き継がれていきます。「相続」は何も財産ばかりでなく、親や先輩の、人生観、信仰観だって忘れてはいけない大事なものです。中でも「信じて仰ぐ心」こそ、人間らしい、信仰者らしい自分にしてくれます。
信じることは生きるエネルギーです。
高山右近は、その力を日常生活の中に見出し、日々高め、深めていったのです。今のわたしたちにとって、日常生活は、どんな些細なことでも自己を強め、聖者に向かわせる積み重ねである、とのメッセージを新たに呼びかけられている恵みの時となりました。