自分らしく

熊本 洋

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日本のカトリック教会は、キリシタン大名、高山右近没後4百年に当たる2015年、高山右近を殉教者として、崇敬の対象となる人に与えられる最高の称号「聖人」にされる一歩手前の「福者」、幸福の「福」に「者」の「福者」に認定することをローマ教皇庁に申請しました。そして、教皇フランシスコは、これを承認、遂に、2017年2月7日、念願の高山右近の列福式が大阪城ホールで行われたのです。

高山右近は、織田信長、豊民秀吉に仕えた、代表的キリシタン大名。イエズス会修道士に感化された両親の影響で、12歳のとき洗礼を受け、カトリックになりました。時まさに戦国時代、激動の波に翻弄されながらも、信仰を堅くもち続け、福音宣教、高槻城主時代には、領地内の住民、七割が信者になりました。秀吉の側近などにも、臆せず入信を進めたということもあって、秀吉からは、棄教命令が出ましたが、これを拒否、大名としての地位や領地を奪われてまでも、信仰は貫き通しました。

江戸幕府からは、国外追放され、フィリピンのマニラに逃れました。宣教師の報告で、有名になっていた右近は、マニラでは、スペイン総督からも大歓迎されたのですが、残念ながら、船旅の疲れや慣れない気候のため、すぐに病をえて病死、享年64才でした。

 

4百年の時を超え、福音を日本に根付かせたいという右近の大きな夢は、日本カトリック教会の行く手を示し、勇気を与えています。

私どもは、一人ひとり、今こそ、真摯に、右近の精神を顧み、それぞれの立場から、人々の安寧と平和実現のため、一層の努力を重ねなければなりません。右近列福の喜びとともに。

自分らしく

小川 靖忠 神父

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「殉教者・高山右近というのが今回の列福の最大の焦点になっています。すなわち一気に死にさらされた殉教者ではなく、自分の意に反してゆっくりとキリストのために長く死んでいく、この人の生涯を追うことで現代を生きているわたしたちも日々起こる出来事を受け止めて死んでいく、こういうメッセージを今回の列福は持っています」と、神のもとに召された溝部名誉司教様が、テレビ番組の中でおっしゃいました。

実生活のなかで神を感じ、信仰を表現していく右近の生き方、今のわたしたちにとって大きな励ましであり、慰めでもあるなとわたしは感じます。

「らしさ」というのは、その人の個性であり、その人たらしめる特性ともいえるものではないでしょうか。「女性らしさ」を感じるとか、「男性らしさ」を感じるとは、一人ひとりによって、その中身に違いがあるのではないかと思います。要するに、一人ひとりは等しく魅力ある資質を備えているのです。だからこそ、その人生を振り返ったとき懐かしい思い出、体験を一人ひとりは持っているのです。その上に今の「わたし」があります。

そして、それは子ども、孫、後世の人に引き継がれていきます。「相続」は何も財産ばかりでなく、親や先輩の、人生観、信仰観だって忘れてはいけない大事なものです。中でも「信じて仰ぐ心」こそ、人間らしい、信仰者らしい自分にしてくれます。

信じることは生きるエネルギーです。

高山右近は、その力を日常生活の中に見出し、日々高め、深めていったのです。今のわたしたちにとって、日常生活は、どんな些細なことでも自己を強め、聖者に向かわせる積み重ねである、とのメッセージを新たに呼びかけられている恵みの時となりました。


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