自分らしく

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

ユスト高山右近が2017年2月7日、殉教者として列福された。

右近は戦乱の世に生を受けた。

故溝部脩名誉司教は、右近を「死なない殉教」、あるいは「死ねない殉教」と表現した。右近が華々しい殉教ではなく、ゆっくりと苦しみの杯を最後の一滴までを飲み干したことを言うのだろう。

 

私は数年前、自分のやるべきことはすべて終えたと思った時があった。右近が帰天した年齢と近くなった時に、閃いたことがあった。私のような者が生きているよりも、もっとこれからの世の中のために働いてほしい人物がいた。私は司祭から「ゆるしの秘跡」を受け、ある人物の身代わりになって天のおん父のもとに帰りたいと言った。もう1人証人が必要かもしれないと思い、さらに別の司祭に自分は身代わりとなりたい旨を話した。手紙も両方の司祭に書いて渡した。

部屋も片付け、臓器提供の手続きもして、静かな日々を過ごした。いったい私はいつ神さまのもとに召されるのだろうと思案していた矢先に、知人より身代わりになりたいと思った人物が亡くなったという電話がきた。身代わりの夢は消えた。神さまは私には身代わりのお恵みはくださらないのだとがっかりした。私はラザロのようにおもむろに自分の心に立てた墓場から出てきた。すると、神さまから強い息を吹き込まれたように私は目覚めた。私にはしなければならないこと、書かなければならないことがある。下手でもなんでも神さまが望まれるなら、道化のようであっても生きぬいていかなければならない。

私は今、右近が病没した年齢、64歳になった。孤独の誘惑は強い。だからこそ、世界中の孤独な人びとにイエスの愛の波動を伝えるために生きなければならないのだ。

自分らしく

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

人は生まれた時代と場所から大きな影響を受けます。私の場合もそうです。

当時呼ばれていた言葉を敢えて使用しますが、私は「大日本帝国海軍」の台湾高雄鳳山の海軍官舎で9月に生まれました。その時の2月には2・26事件が起きています。そして第二次世界大戦が終わり、小学生時代「戦犯の息子よ」と石をぶつけられた思い出があり、その流れの中で私は洗礼を受け、心理療法の職業を最終的に選んでいます。

どんな時代に、どこで生まれたかが、その人の人生の流れを決めていきます。1552年に生まれた高山右近が1615年、マニラで死んでいきます。右近が洗礼を受けて厳しい時代の中で自分らしく死んでいく歴史は、現代に生きる私に大きな勇気を与えてくれています。

今の日本には右近の時代のような殉教はありませんが、精神的には殉教に該当する事例が沢山あります。右近の時代に活躍した宣教師フロイスが書いた日本史をもとに、「フロイスの見た戦国日本」という本を川崎桃太さんが書いていますが、それを読むと、あらためて、自分らしい素晴らしい人生を歩んでいたのだなあと感動します。

世界の歴史を勉強していきますと、神に従って自分らしく生きようとすればするほど、迫害、いやがらせを受けるようです。仕事でお会いする施設の方々、そして、日常生活の中でも、自分らしく生きようとすると、嫌がらせ、迫害、言葉の暴力を受け、挙句の果てにお金と友達と職業を失う場合も出てきます。そのような自分の気持ちに正直に生きようとする人は、ある意味殉教者と言えるかもしれません。

1人のシスターから頂いた「右近と歩む祈りの旅」と言う小冊子は、現代に生きる私に大きな勇気を与えてくれました。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13