確かに、子供の頃の私は、結構わがままであるのにもかかわらず、また兄弟が一緒にいるにもかかわらず、私だけがお年寄りから声をかけられる経験をしましたが、色々な体験が、その人の人格を形成していくと感じます。
中学になるまで、風邪をひいては学校を休んだ経験からは、弱そうにしている人、元気のない人に知らないうちに気がとられてしまうこともありました。自動車を運転していても、そのような人を発見すると、この人の人生は大丈夫だろうかと考えてしまいます。
修道会への入会のため、駅へ1人で向かおうとしていた時、弟が「兄ちゃん大丈夫か」との思いから、一緒に駅まで見送りにきてくれた時には、兄弟を大切にしなければとの思いを深めました。
人間はその経験、実体験、あるいは原体験から、損得や経験を越えた、生き方の基本を身に付けていくようです。結核患者のために生涯を捧げたある神父の伝記を読んでいると、日本に来て神父としての駆け出しの頃、盲腸で生死をさまよい、回りからもう駄目だと思われたという体験が、その後の人生に活力を与えたのだと私には感じられます。
列福された右近の人生も、若い時に瀕死の状況から回復した人生に、その後の右近の土台を感じます。
人の体験は、どんなに小さなものでも、その人を形作っていることを感じるこの頃です。
高山右近が直面した最大の危機は、仕えていた荒木村重が信長に反旗を翻したときでした。人質を差し出している村重につくか、キリシタン保護のために信長につくか、苦渋の選択を迫られたのです。右近はひたすら祈ったと伝えられています。祈りの末、彼がとった行動は、髪を下ろし、何も持たずに信長のもとへ出向くことでした。食うか食われるか、各々が自分の利益だけを考えて行動する殺伐とした時代にあって、右近は自らが犠牲となることによって、血を流すことなく解決する道を選んだのです。
乱世を生き抜いたこのパウロ三木と右近に共通するもの、それは本当の主君は信長でも秀吉でもなく、イエス・キリストであったということです。パウロ三木は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)と祈られた十字架上のイエスに倣いながら天に召されていきました。右近は信仰ゆえに、この世での財産をすべて没収され、27年に及ぶ追放生活を喜びのうちに生き抜き、大勢の人々に神の愛を証しする生涯を送りました。
私たちも先輩たちに倣って、「本国が天にある」(フィリピ3・20)ことを忘れることなく、喜びのうちに神を証しする人生を歩むことができますように、祈り求めたいと思います。