ジョギングをする時間は、朝です。〈1年の計は元旦にあり〉というように、〈1日の計は朝にあり〉という私なりの持論を掲げ、部屋で準備体操をしてから外に出て、歩かない、ということだけは肝に銘じ、ゆっくり一定のペースで走ります。走りながら頭に浮かぶのは、妻とダウン症を持つ息子の顔です。〈まずは自分が健康体にならねば〉と言い聞かせながら走っていると、次に心の中に芽生えてくるのは、坐禅に少し似た感覚。腕を振り、足を上げ、同じスピードで姿勢を保つと、〈無〉の感覚を目指す心理状態になってきます。ジョギングも中盤から後半に差し掛かると、日々の印象的な場面が浮かび...そうこうするうちに、一見、苦しいジョギングも心地よいものとなり、遠くの我が家は近づいてきます。
シャワーを浴び、朝食を済ませ、喫茶店まで歩き、紅茶を飲みつつ原稿を書いたり、ひととき瞳を閉じて、静かに祈ったりします。地元の教会で息子をかわいがってくださるHさんが病気療養中のため、祈っていると...なんと、そのHさんがご主人様と姿を現したので、驚きました。そんな偶然の出来事も、朝のジョギングの密かな効用かもしれません。