こうして皆が笑顔を心がけるようになると、職場の雰囲気が明るく活気を帯びるようになり、それにつれて会社の業績も上がってきたそうです。
「笑う門には福来る」と言います。笑顔だといいことが起きるのは、なぜでしょう。いろいろ理由があります。
笑顔は人に好印象、温かな雰囲気を与えられます。笑顔で人に接すると相手からも笑顔が返ってくるものです。自分も相手も気持ちが明るくなり、喜びが生まれます。そして、人間関係が良くなります。仕事にもやる気が出てくるでしょう。
ほほえむということも同じです。
たとえば、「おはようございます」「こんにちは」を言うとき。相手を見ずぶっきらぼうにあいさつするのと、相手を見てほほえみながら言うのでは、与える印象が全然違います。やはり、ほほえみながらあいさつしてもらうほうが嬉しいものです。自分への親しみや好意や愛情を感じられるからかもしれません。
マザー・テレサは私たち皆に問いかけました。「忙しすぎて、ほほえむ暇も、愛を与えたり、受けとめたりする暇もない、そういう生活になっていませんか」
一日の中で、ゆったりとほほえむ時間、笑顔で愛を与え受けとめる時間が互いにあれば幸いだと思います。気持ちがおおらかになり、いい人間関係が生まれ、いい家庭が築かれ、いい社会になっていくのではないでしょうか。
江戸には、現代にない突き抜けたような明るさや度量の広さがあると私も思います。しかし、封建時代の生活には現代のような自由はなかったでしょう。男尊女卑が常識の時代、特に女性は我慢するのが当たり前という状況だったと想像します。自然破壊もあったし、飢饉や天変地異など命に関わる災いも多くありました。現代と種類こそ違え、ストレスは確実に存在したと思うのです。
ならばなぜ、あの特有の大らかさが実現したのでしょう。
答えの一つに「真の強さ」があるような気がしています。搾取にも不条理にもめげず、何が何でも楽しく生きる、すべてを笑い飛ばして見せる、そんな庶民の気概は、決意の領域にさえ感じます。
現代日本でストレスにさらされている私たちが大らかに生きるうえでも、日々を豊かに楽しむ決意は有効に働くかもしれません。
大空を見上げ、鳥の声に耳を澄ませ、地球規模の視野を意識すると、300年前の心の広さが取り戻せるかもしれません。機械に囲まれデジタル思考になった心を一瞬アナログに切り替えるだけでも、視点が変わり、それまで赦せなかった人の言動が理解できるかもしれません。
大らかであるには、それなりの決意が要ると、私は思うのです。