おおらかに

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

「おおらか」という言葉には、大空の広がりと穏やかさがある。空のように大きく優しい心を持ちたいと思っても、人間にはなかなか難しいことのようだ。

或る時、小さな子どもを連れた3人の若い母親たちに出会った。3人はちょうど別れるところで、1人が去った後、2人が私と同じ方向に歩き出した。2人が別れて来たもう1人の友人について話しているのが聞こえた。「あの人はいつも明るく笑顔でいて、偉いわね」「本当。ご家庭が大変な時なのに。幸せな時は、誰だってニコニコするわよ。でもつらい時に、笑顔で他人に親切にするなんて、すごいことよね。」

聞いていて、私も感心した。世の中には、しなやかで強い心を持った人、おおらかな空のような人が本当におられたのだった。そして、友人の美点を褒める2人の女性の素直さにも感動を覚えた。

彼女たちが言う通り、私たちは人生がうまく運んでいる時は、他人にも寛大で親切を惜しまない。だが、その人の本質が現れるのは人生がうまく回らず、何かを乗り越えなければならない時ではないだろうか。

人間にとっての幸福は、自分で作り出すのではなく、人から渡されるものなのである。そして感謝の気持ちを持てた時に、初めて受け取れるものなのである。

つらい境遇にある時も、笑顔で明るい女性は、幸福が人から来ることを知っている人なのだろう。様々な心遣いが差し出されていることに気づき、感謝出来る人のように思われた。

友人の2人が、次の日には彼女を手伝いに行くような予感がした。苦労している人が親切にしてくれているのに、自分たちが親切にしないわけにはいかない。その時には、3人が笑顔になっているだろう。幸福を3人ともに差し出し、受け取り合っているだろう。

おおらかに

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

父の楽しみは竹で編んだカゴを背負って山に出かけ、山菜やキノコを採ったりすることだった。

ある日、近所の友人と一緒に山に行き、ワラビやタラの芽をたくさん採って帰ってきたが、父と友人は山菜どころの話ではなかった。

なぜなら、山でワラビを採っているとき、ウサギのダンスを見たというのだ。父と友人がいた近くに切り株があって、そこにウサギが何匹かいて立ち上がっていたそうだ。長い耳と前足ならぬ両手も耳のそばにあげて、ダンスをしていたという。長い耳がゆらゆらと揺れて、それにあわせて両手も左右にふっていたそうだ。父と友人はそろって、「2人で見たのだからウソではない」と話したが、聞かされた人たちは2人を「ほら吹き」のように思い、相手にしなかった。

私はどうかというと、その話をすっかり信じていた。当時私は中学生だったが、父や友人がウサギのダンスを見ることができて幸せだと思った。もしかすると、ウサギたちは空中に何かがいて、偶然立ち上がっていたのかも知れないが、やはり私は、ウサギのダンスだったのだと信じている。

父はとてもユーモアのある人で、弟と私が幼い頃は、毎晩、父が話してくれる民話を聞きながら、眠りについた。父の民話は父自身も子どもの頃に、聞いた話なので、毎晩、自分流にアレンジして話してくれた。弟は「もう1回」などと言うので、父も大変だったと思う。

ウサギのダンスを見たという父、その父が、子ども時代に聞いた話を、今度は自分の子どもへの語り部となって話してくれた父の影響は、思わぬところで芽を出した。

私が『聖書』を読むようになったとき、今度は神さまが語り部になってくださったかのように、『聖書物語』をおおらかに楽しむことができるからである。


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