聞いていて、私も感心した。世の中には、しなやかで強い心を持った人、おおらかな空のような人が本当におられたのだった。そして、友人の美点を褒める2人の女性の素直さにも感動を覚えた。
彼女たちが言う通り、私たちは人生がうまく運んでいる時は、他人にも寛大で親切を惜しまない。だが、その人の本質が現れるのは人生がうまく回らず、何かを乗り越えなければならない時ではないだろうか。
人間にとっての幸福は、自分で作り出すのではなく、人から渡されるものなのである。そして感謝の気持ちを持てた時に、初めて受け取れるものなのである。
つらい境遇にある時も、笑顔で明るい女性は、幸福が人から来ることを知っている人なのだろう。様々な心遣いが差し出されていることに気づき、感謝出来る人のように思われた。
友人の2人が、次の日には彼女を手伝いに行くような予感がした。苦労している人が親切にしてくれているのに、自分たちが親切にしないわけにはいかない。その時には、3人が笑顔になっているだろう。幸福を3人ともに差し出し、受け取り合っているだろう。
私はどうかというと、その話をすっかり信じていた。当時私は中学生だったが、父や友人がウサギのダンスを見ることができて幸せだと思った。もしかすると、ウサギたちは空中に何かがいて、偶然立ち上がっていたのかも知れないが、やはり私は、ウサギのダンスだったのだと信じている。
父はとてもユーモアのある人で、弟と私が幼い頃は、毎晩、父が話してくれる民話を聞きながら、眠りについた。父の民話は父自身も子どもの頃に、聞いた話なので、毎晩、自分流にアレンジして話してくれた。弟は「もう1回」などと言うので、父も大変だったと思う。
ウサギのダンスを見たという父、その父が、子ども時代に聞いた話を、今度は自分の子どもへの語り部となって話してくれた父の影響は、思わぬところで芽を出した。
私が『聖書』を読むようになったとき、今度は神さまが語り部になってくださったかのように、『聖書物語』をおおらかに楽しむことができるからである。