おおらかに

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

最近は「おおらかな人」をあまり見かけなくなりました。

私たちは、いろいろなことをコンピューターで管理する社会にいますので、人間が機械に合わせる状況が生まれています。そのことは、私たちがおおらかさを失った原因の一つかもしれません。機械は、コンマを打ち間違えただけで偉そうにびくともしません。人間さまは、慌てて自分の小さなミスを探すのです。機械は決しておおらかではありません。このように、ある枠の中で、微細な間違いを犯さないようにといつも神経を研ぎ澄まし、機械のやり方に合わせて生きていると、人の優しさや、状況に応じてやり方を変える柔軟性は重視されなくなるでしょう。

決まったことを予定通り、正確に仕上げることが優先されるなら、予想外のことや人間らしい回り道は歓迎されません。それは潤いのない固い社会です。

私は、漫画やファンタジーが多くの大人を魅了しているのは、このような状況と真反対の世界だからではないかと思います。決まりきったルールを超えたストーリー展開で、想像力や感情を思い切り羽ばたかすことが出来るからではないでしょうか。

人間は、傷つきやすい感情と肉体をもっています。間違いを犯さない機械のようには生きられません。むしろ考え違いや飛躍があるのは当然のことなのです。もし、仕事で誰かがミスをした時、私たちが、その人の気持ちを受け止めようと歩み寄ったり、理解するために失敗の原因を聞いたりするなら、その人は救われた気持ちになります。

私たちがそのように共感しあうおおらかな関係をつくることができたら、この社会で多くの犯罪が起きずにすむのではないかと思います。

おおらかに

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

幼稚園で保育の様子を見ていると、教室によってずいぶん雰囲気が違うことに気づく。ある教室では、子どもたちがのびのびと課題に取り組み、子どもたちの顔には安心と喜びが浮かんでいる。別の教室では、同じように課題に取り組んでいても、何か緊張感が漂っている。子どもたちの動きがどこかぎこちない。

その違いは、どうやら先生と子どもたちの信頼関係から生まれてくるようだ。ベテランの先生は、子どもたちの動きを熟知し、子どもたちがどんな行動をしても驚かずに対応することができる。子どもたちをあるがままに受け入れながら、教室を大きな愛で包み込んでゆくことができる。だからこそ、子どもたちはのびのびと、自由に行動できるのだろう。

ところが、まだ幼稚園で働き始めて日の浅い先生などは、想定外の子どもたちの動きに戸惑い、子どもたちの動きを何とかコントロールしようとしてしまうことが多い。学校で習った理想の教室を思い描き、子どもたちを自分の思った通りに動かそうとしてしまうのだ。当然、子どもたちのあいだには緊張感が漂う。先生に気に入られようとして、子どもたちの動きがぎこちなくなってしまうのだ。

どんな人間関係でも、同じことが言えるだろう。

状況を自分の思ったままにコントロールしようとする人の周りには緊張感が漂うが、状況をあるがままに受け入れられる人の周りには安心感が漂うものだ。状況をコントロールしようとする人は、心の中で自分自身も厳しくコントロールしようとしている。理想通りの自分になろうとして、緊張しながら生活しているのだ。その緊張感が、周りの人たちにも伝染してゆく。

あるがままの自分を受け入れ、あるがままの状況を受け入れることができる、心のおおらかさを持ちたいと思う。


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