それから7年後に、やっと神父に叙階された私は、その後6年間ヨーロッパ留学を命じられ、帰国後に東京の神学校に勤務しました。そして20数年後、今度は肝炎で入院し、そこで又あの看護師と再会したのです。
その看護師の短歌に、こんな句があります。
「その起伏ゆるやかに見せて 草原の
雪かぶりおり、生命ひそめて」
また、彼女の著作「老いてなお看護婦」の中に、こんな一節があります。
「看護が好きである。なぜであろうか。人の苦しみ悲しみの傍らに居ることによって、いつも自分との闘いが求められ、その結果が、成功、不成功であるかを問わず、充実感があり、人間との、深いかかわりの中で、お互いに成長できるからである」。
その彼女が臨終の時、ふと目を開き、枕もとに立っていた私に、「私の厳しい看護の姿勢は、これでよかったのでしょうか」と尋ねました。
「勿論ですよ。その厳しさがあったからこそ、私たちはこんなに元気になれたのですから」と答えた私に、彼女は大きくうなずき、静かに目を閉じました。
老いてなお、看護の心に徹しきった修道女看護師の生涯でした。