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老いてなお・・・

福田 勤 神父

今日の心の糧イメージ

私の人生は、「人生の四季」を思わせるような時の流れだったような気がします。

幼い時に両親を亡くしたせいか、中学生の頃に教会を訪れ、フランシスコ修道会の神父になる道を選びました。

神学校に入学した私は、その年の冬に突然喀血をし、札幌の病院に入院し、肺切除の手術をしました。その病院で世話してくださった看護師は、女子フランシスコ会の修道女で、日本人としては2人目のナイチンゲール賞を受賞した方でした。

それから7年後に、やっと神父に叙階された私は、その後6年間ヨーロッパ留学を命じられ、帰国後に東京の神学校に勤務しました。そして20数年後、今度は肝炎で入院し、そこで又あの看護師と再会したのです。

その看護師の短歌に、こんな句があります。

「その起伏ゆるやかに見せて 草原の

雪かぶりおり、生命ひそめて」

また、彼女の著作「老いてなお看護婦」の中に、こんな一節があります。

「看護が好きである。なぜであろうか。人の苦しみ悲しみの傍らに居ることによって、いつも自分との闘いが求められ、その結果が、成功、不成功であるかを問わず、充実感があり、人間との、深いかかわりの中で、お互いに成長できるからである」。

その彼女が臨終の時、ふと目を開き、枕もとに立っていた私に、「私の厳しい看護の姿勢は、これでよかったのでしょうか」と尋ねました。

「勿論ですよ。その厳しさがあったからこそ、私たちはこんなに元気になれたのですから」と答えた私に、彼女は大きくうなずき、静かに目を閉じました。

老いてなお、看護の心に徹しきった修道女看護師の生涯でした。