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2人3脚

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

「妙子さん、あした何時出発?」と夜電話があった。「8時台」と答えた。7年間にわたる米沢での生活を、支えてくださったご夫人からの電話だった。

私は30歳のとき、実家がある米沢に戻ってきた。同時期に、長い看病の末ご主人を失くされたご夫人がいて、その時の電話はその方からだった。

ご夫人と私は教会の聖堂で出会った。私はこのご夫人をミーちゃんと愛称で呼ばせてもらった。ミーちゃんと私は、ゆっくりとした2人3脚で歩んだ。

 

実家に戻ってから3年後に子どもたちのための劇団を作った。3か月に1回は上演した。ミーちゃんは上演間近になると必ず、小道具、大道具の手伝いに来てくれた。『アルプスの少女』を上演するときには、大きな羊を12匹も作ってくれた。その劇を上演して表彰された。しかし、急に子どもたちの親の転勤などで子どもがいなくなり、劇団をしめることになった。

そんな時に、「米沢の53名の殉教劇」を、米沢にある各宗派の教会が合同で、市民文化会館で上演することになった。私は演出と脚本を担当した。その殉教劇が、ペトロ岐部と187殉教者や高山右近の列福に尽力され、今は天国のふる里に帰られた、溝部名誉司教の目にとまり、私はカトリック系の出版社で働くことになった。

上京する朝、駅のホームで列車を待っていると、自転車の後ろの荷台に大きな荷物を積んでミーちゃんが来た。すると何台かの車が着き、ホームに教会の方がたが見送りに来てくださった。ミーちゃんは自転車の荷台から大きな袋をもってホームに来た。皆さんは一瞬、「まさか」と思ったらしいが、ミーちゃんは臆することなく、ホームにいる教会の方がたに『カトリック聖歌集』を配った。

私は「み母マリア」の歌に包まれて出発した。