長い時が経過したことも感じずに、冗談を言いあって心の底から笑いあいました。友情が健在なのを感じて2人ともうれしくなりました。その日から私たちはよく会うようになり、おしゃべりだけではなく、毎日お互いのために祈りあうようになったのです。そのような友人はめったにいないと言っていいでしょう。私は、学校の聖書の授業がうまくいくように彼女に祈りを頼み、生徒からよい反応がある時は報告しました。友人は自分のことのように喜んでくれます。私も彼女の意向に合わせて祈ります。その祈りも具体的に答えられるとまた2人で喜び合います。
このような関係は、2人3脚で肩を組んで走る軽快なテンポを思い出します。1人で走るよりも楽しくて笑いがこみあげてきますし、足が3本になっているので力強くなっているのです。
人間は誰でも1人では生きられないとわかっていますが、現代人はプライバシーを尊重し、距離をおいて交際するのが普通です。私自身も、集中して勉強したり、原稿を書いたりするために、3〜4日間、誰とも話さずにいることがよくあります。そういう時は音の無い広い宇宙で、たった1人で生きているような気がします。
祈りあう友人がいるのは救いです。毎日思い出して2人3脚で共に生きていると感じられるからです。