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心を開く

シスター 菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ

かなり以前のこと。高校生のクラス担任をしていたときの忘れがたい思い出がよみがえります。

一人の生徒がどうしても心を開こうとしません。保護者会でお母様に会い、家庭内の事情もわかっていましたが、本人が口を開かない限り、私から事情を聞くことが出来ないのです。苦しい日々が続きました。

その頃、作文の練習と称して、生徒たちがノートに、週に一度、その週の忘れがたい出来事や、悲しかったこと、楽しかったことなど、思うままに書いて提出することになっていました。何かひとことでも書いて欲しいと願いながらその生徒のノートを開くのですが、「何もかくことなし」という日が続きます。

ある日、私は考えあぐねた末、自分が高校時代にした失敗談を書いたのです。生徒の書いたこととは無関係でしたが、この後、かなり長い反応がかえってきました。こうして、二人の間には少しずつ対話がなりたつようになりました。

このとき、私は初めて気がついたのです。聖書に記してあったみことばが、この私のためであったことを。「すべてに時がある」(参:コヘレト3章)という、あのみことばこそ、私のためであったことを。

私は神様の「時」を、自分勝手に早めようとしていたのでした。神様のお考えの中で、生徒にいちばん適当な時があることが分かっていたら、私はあわてずに、辛抱強く、神様のお考えにすべてをお委せしていたでしょう。どんなことの中にも、神様だけがご存知の時がある、それは私が早めることも、遅らせることもできない。私にとってもっとも適当な「時」なのです。

このときから、私の中で神様の時を待つことの大切さが分かってきたのでした。

「みこころのままに」という祈りこそ、信頼と委ねの美しい祈りであることも。