そして今、やっぱりそうだった、と思います。慈しみの聖年を宣言され、世界中の傷ついている人、貧しく困っている人の側に立っておられ、一時も休むことなく話しておられます。
いま世界は、ほとんど新しい世界戦争が始まってしまっていると言えるようです。こんなとき、教会の、キリスト教徒のするべきことは本当にたくさんあるのだと思います。世界中の傷ついて逃げている人たちのことを自分たちと同じ家族だと思っていたい、だって、聖家族は避難民でもあったのですから。
教皇フランシスコが慈しみの聖年に求めておられるのは、きっとそういうことではないでしょうか。
アフリカでなさったお説教の中で、キリストが弟子たちに「湖の向こうに渡ろう」と仰せになったときのことを話しておられます。キリストは私達に一人で渡るようにと言ってはおられない、それぞれの与えられた場で、男も女もキリストの言葉に応えて、キリストとともに渡るようにというのです。私たちは、一人では何もできないのだからと。