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いつくしみの特別聖年

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

教皇フランシスコが選ばれたとき、というよりもあの方がご自分の名前として、フランシスコを選ばれたとき、本当に驚き、私は喜びで一杯になりました。

アシジの聖フランシスコは小さな人たちを大切にし、貧しい生活を選んだ人でした。大切なことは本当に単純なことだと話した人でした。聖フランシスコにとって、キリストに従うということは、そういうことでした。

その当時のローマ法王の夢に現れた教会は、傾いてしまっていて、まるで倒れそうになっていたのです。そして、それを倒れないように一生懸命に支えようと柱をおさえているのが若く貧しいフランシスコだと法王は知ったのでした。

そして今、やっぱりそうだった、と思います。慈しみの聖年を宣言され、世界中の傷ついている人、貧しく困っている人の側に立っておられ、一時も休むことなく話しておられます。

いま世界は、ほとんど新しい世界戦争が始まってしまっていると言えるようです。こんなとき、教会の、キリスト教徒のするべきことは本当にたくさんあるのだと思います。世界中の傷ついて逃げている人たちのことを自分たちと同じ家族だと思っていたい、だって、聖家族は避難民でもあったのですから。

教皇フランシスコが慈しみの聖年に求めておられるのは、きっとそういうことではないでしょうか。

アフリカでなさったお説教の中で、キリストが弟子たちに「湖の向こうに渡ろう」と仰せになったときのことを話しておられます。キリストは私達に一人で渡るようにと言ってはおられない、それぞれの与えられた場で、男も女もキリストの言葉に応えて、キリストとともに渡るようにというのです。私たちは、一人では何もできないのだからと。