祖母は50代半ばで心筋梗塞になり、以後病院以外には外出することはなく、寝たきりで過ごした。私は祖母の世話係になったことによって、私の頭の中に樋口一葉がたたき込まれた。祖母が一葉を朗読し始めると、私は祖母のふとんに無理矢理もぐりこんで聴いた。24歳で夭折する一葉が、いきなりテーマに入って書き始めることや、言葉の選び方には、さえわたるものがあった。
さまざまな本がある中でほかの小説を手にすることはあっても、2〜3ページ読むとやめてしまう祖母の愛読書が樋口一葉の本だけかと思っていた。が、『新約聖書』は読んでいたらしい。私が中学2年になった時、なんと『聖書』とは言わずに『バイブル』は読んでおいたほうがいい、と言ったのだ。『新約聖書』が家にあったので読んでみた。一葉の文を読むと「この世の造り主とやらの神様どうにでもなさってください」とゆだねるところがある。
樋口一葉の本を読む祖母のそばで育った私は今、とても幸せだと思っている。一葉の父は事業に失敗し亡くなり、長男も亡くなり、姉は嫁いだ。一葉は母と妹のパンのために小さな店を開き、借金もした。小説を書けば母親に「文章の推敲などいらない、早く書け」と言われた。イエスの肩に背負われた一葉は、迷える小羊の哀しい心情をあますところなく、いつくしみの筆で書ききっている。