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共にいる神

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

「なに事も御手にゆだねているから」が口ぐせだった母が、先日91年の人生を全うし、天に召されました。

母が書いた文章の記述に「小学2年での満州事変を始め、支那事変から大東亜戦争と昭和の大変な時期を過ごし、」とあり、母はその困難の中で共にいる神に出会ったのではないかと思います。母は戦後まもなく家の近くのプロテスタントの教会で、洗礼を受けました。

私は母の所属教会の幼稚園に通い、ミッションスクールの小学校へと進学しましたが、その間母は熱心に教会奉仕につとめていました。両親の看護に13年もの歳月を費やすことになった母は、転地療養につきそう間に、教会への足が次第に遠のくことになりましたが、日々祈りは欠かすことなく、聖書が文語体から口語体に変わり共同訳聖書が出版されると、変化に従って聖書を読み直しては、沢山の朱線を引いて勉強していました。

カトリック信者の私と娘達が、1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世司式の後楽園でのミサに母を誘うと、その後公教要理のクラスに入り、クリスマスにはハヤット神父様の聖地巡礼に参加しました。

翌1982年の復活徹夜祭でカトリックに転会し、両親を見送って60歳になった時から、私の家に移り住みました。毎朝のミサに与る事から一日を始め、度々聖地巡礼をし、私がキリシタンの歴史をモティーフに、作品を制作することを喜んでくれ、貴重な資料を取り寄せるなど応援してくれました。近年軽い認知症の傾向がありましたが、最近まで御聖体を届けると、はっきりと主祷文をとなえ応答出来ました。

戦争に翻弄された母の人生が、戦後70年に終わりを迎えた事も神様が共にいて下さった証しのように思え、全て御手にゆだねるという信頼で生きる事の幸せを、母から教えられました。