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クリスマスとは

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

ここ何年か、ネットのつぶやきで話題のツイッターを楽しんでいます。

そのなかで、最近気に入っているつぶやきがあります。そこには定期的にイエスの言葉が書かれます。

ところが、それは聖書から抜き出した言葉ではなく、イエス様が生で言っておられそうな言葉を、作者が想像してつぶやいているのです。

直接の引用は避けますが、たとえばこんな感じです。ニュウコウやモツヤクはすぐに切らしちゃうとか、馬小屋にノスタルジーを感じちゃうとか、ガリラヤの風が香ってるなどなど。

まじめな神父様には叱られそうですが、私はこんなイエス様のつぶやきを、毎日楽しみに読んでいます。30代前半のイエスさまはおじさんなの?たしかに、お兄さんではないか、と素朴なつぶやきを交えながら。

イエスは、私たちには計り知れない責務を負ってこの世に来られました。それを考えたら、気安く「イエスさま」なんて呼べないかもしれません。

私がフランス語を習いはじめたころは、イエスには「ブボワイエ」という改まった調子で話しかけていました。現在では、「テュトワイエ」という親しい会話調子で祈っているようです。日本語でいうと、呼び方が「あなた」から「君」に変わったわけです。

もちろん、イエスは主と呼ばれる方です。でも同時に、いつも等身大の友人として、手をつないでくださる方でもある気がします。

人間としてのイエスは、隣人にとって最高の友人でありたかったのではないでしょうか。呼び方がテュトワイエに変わってきたのは現代人がそこに注目しはじめたからかもしれません。

クリスマスを迎え、「ねえ、イエスさま」と語りかけたら、喜んでくださるように私には思えるのです。