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岐路に立つ時

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

人は誰でも岐路に立つことがあります。

三浦綾子さんの小説『塩狩峠』で起きた出来事を考えてみましょう。この話は実話で、長野さんという実在のモデルがいます。彼は鉄道の職員でした。列車が塩狩峠の頂上にさしかかった時、乗っていた車両の連結部が外れる事故が起きました。このまま坂を下ると転覆してしまいます。目前に迫る危機の中で、彼は身を投げ出して下敷きになることを決断しました。列車は止まり、乗客全員の命が救われました。

彼はどうしてそのような決断ができたのでしょうか。それは、普段の生活の中に理由がありました。亡くなった後、長野さんが肌身離さずに持っていた遺書が出てきました。そこには、イエス・キリストに自分のすべてを捧げて生きる決意が書かれていました。神のために人生を使えるように日々祈っていたのです。ですから、突然の事故で自分を犠牲にすることが出来たのです。

私たちは、長野さんと同じような偉大な事は出来ないかもしれませんが、毎日、祈りの時間をとって「神に聞く」ことはできるでしょう。

人間はどうしても自己中心になりがちです。例えば、苦しんでいる人の前で、婚約した女性が嬉しそうに将来の話をする、貧しい人に海外旅行の思い出話をする、など愛のないふるまいをしてしまうことがあるものです。私を愛してくださる神の前に出て静かに祈るとき、そんな思いやりのなさに気づかされます。心の目がよく見えない私たちは、神さまの目を通して自分の姿を見せていただくのです。

こんな風にいつも祈り、軌道修正をしながら歩むなら、岐路に立つ時、他の人の幸せを求めるよい選びができるのではないでしょうか。