19世紀の詩人の想像力が生んだ物語は、現代では微笑ましく受け取られてしまうかもしれない。
しかしそれでも、むしろ天の国にこそ、愛と許しで出来た鏡があって、その破片は降って来ているのだ、と考えてはいけないだろうか。天から来た鏡の破片が私たちの目と心に宿り、隠れている優しさや美しさを見つけて照らすのだ、そして私たち自身も照らされるのだと考えてはいけないだろうか。そうすれば、人の瞳に美しく輝く瞬間がある理由が分かるのである。自分を忘れ、透き通ったようになって他人に尽くす人がいる理由が分かるのである。
鏡の破片は、私たちに良きものを沢山見つけさせ、私たちの目に世界をより美しく、愛のある場所のように見せることだろう。そして私たちがそう信じて行動すれば、不思議と世界はそれに応えてくれるのではないだろうか。希望をこめて、そう思っている。