ペトロは、教会の頭となるよう約束されていたにもかかわらず、キリストのことを「私の知らない人だ」と言い張って3度も裏切りました。多分、非常に後悔したのだと思いますが、キリストの無限のゆるしと愛に信頼して悔い改め、これも腑甲斐なかった他の弟子たちの先頭に立って、もう一度自分の生活を立て直したのでした。
ところがユダはといえば、同じゆるしと愛の人であるキリストを生前知っていたにもかかわらず、彼を裏切り、敵の手に渡したことを後悔したまま、首をくくって死んでしまいました。それは、「悔い改める1人の罪人のためには、悔い改める必要のない99人のためよりも、天においてはもっと大きな喜びがあるであろう」と言われたキリストを、裏切り以上に悲しませたに違いありません。
教会は、キリストの復活を祝うに先立って40日間、四旬節という機関をもうけ、人々に悔い改めをすすめます。それは、私たちの罪ゆえに救い主としてこの世に遣わされ、十字架上で死んで下さったキリストに対し、自分の罪を悔やむと共に、心を改めて神にたちかえるための時期なのです。
過ちをおかした自分に絶望し、神から離れることを、神は決して望んでいらっしゃいません。そこには神の無限の愛とゆるしへの信頼が失われています。
神が昔も今も求めていらっしゃるのは、私たちが悔い改めて神に立ち戻ることなのです。