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セミの抜け殻

土屋 至

今日の心の糧イメージ

私の参加している、子供たちと科学のおもしろさを体験する活動の、夏のテーマのひとつが「セミの抜け殻を鑑定する」である。自然公園にいって、セミの抜け殻を採集してセミの種類と雄か雌かというのを鑑定し、抜け殻の標本を作製する。

採集にいく前の説明で、セミは幼虫時代を地中で10年くらい過ごし、地上に出てきて脱皮して成虫となることを教えられる。そのときに脱ぎ捨てられて残されたものが抜け殻である。幼虫時代の長さに比べて成虫となって地上で生きるのはわずかに1週間から1ヶ月。その短さに日本人ははかなさを感じてきた。

日本でよく見られるセミは六種類あること、そしてその鳴き声もだいたいの子供たちはよく知っている。ただ、会場の横浜の場合、クマゼミは生息地の北限であり、その鳴き声はときどき聞くことができるが、抜け殻はめったに見つけることができない。

子供たちに貴重なクマゼミのぬけがらをプレゼントするために、大人のスタッフは事前に三浦半島の城ヶ島まで採集にいく。

しかし、別の地区のスタッフから異論が出た。「公園でみつけたセミの抜け殻の標本をつくればいいのであって、そこで見つけられなかったセミの抜け殻をわざわざ別のところで見つけて与えるというのは科学精神にもとるのではないか」という。

運がいいとセミの脱皮に出会い、その神秘的なシーンに子供たちも感動する。地中生活に比べて地上生活の短さ、はかなさを知っているだけにその感動もひとしおである。

ある子がいった。「地中での幼虫時代がセミには不幸なのかな。地上での生活だけが幸福なのかな」と。セミの生き方にはかなさをみるのは人間の勝手な見方であって、セミは必ずしもそう感じていないかもしれないと気づかされた。