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クリスマスのおとずれ

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

誰にも誕生日があるように、キリストにも誕生日があります。

世界中で救い主として信じられているキリストは、今から2000年余り前に、現在のイスラエルのベツレヘムで生まれました。その時の様子は一見あまりにも平凡で慎ましいものですが、特別な重みのある日です。母親のマリアは、ローマ皇帝の命令による人口調査に応じるため、北部の村ナザレから夫ヨセフの故郷ベツレヘムまで5〜6日の旅をしたあげく、宿屋に部屋がとれないまま、子どもを産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせるしかありませんでした。

神の栄光に包まれて現れた天使たちは、近くの羊飼いたちに、飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子は救い主であると告げます。それは神からのメッセージを意味しました。しかし、この乳飲み子は、この後すぐに当地の権力者ヘロデ大王の敵意を買い、虐殺の難を避けて両親共々エジプトに逃れます。

しかしそれらすべての出来事は、人類の救いという遠大な神の計画が決定的に実現しつつあることを示しているのです。イエスの誕生は、人となった神の子が十字架の上でわたしたちのために自分のいのちを与えるという神の最高の愛の始まりなのです。

イエスは、30数年後に、衣服をはぎ取られ、十字架にはりつけにされます。神の子として全知全能であるはずのかたが、無防備で何の抵抗をすることもなく、しかも自分を苦しめ殺す人びとをゆるします。

彼は、政治や経済の体制を変えるためではなく、ただご自分のことばと行いによって、一人ひとりの人間の心に神の愛を語りかけ、その愛によって新しく生まれ変わるよう働きかけるために来られたのです。そのために「自分を無に」されました。

乳飲み子イエスの姿は、そこから救いが始まると訴えています。