▲をクリックすると音声で聞こえます。

愛の実践

シスター 渡辺 和子

今日の心の糧イメージ

 「もしも、街頭での署名をする度に、千円ずつご寄付をいただきます、ということになったら、今のように人々は気安く署名に応じるだろうか」 ある人の呟きを聞いて、我が身を振り返ったことがあります。つまり、愛には、痛む愛と、痛まない愛があるということを、あらためて思い知ったのです。

 近頃は、大学でも学生たちがボランティアをしたことに対して、単位を出しています。私には、ボランティアとか奉仕は、無償の愛の現れという思いがありますが、今は、必ずしも、そうでない事実もあるようです。

 「東日本に行ってお手伝いしてきました。」と報告しにくる学生たちに、「ありがとう。ご苦労でした」とねぎらいながら、そして決して単位のために行ったのではないと信じながら、心の片隅に小さい疑問が残ります。

 この人たちは、自分の家で、家事の手伝いをしているのだろうか、という疑問です。

 かつて、マザーテレサのお話に感動した学生たちが、奉仕に行きたいと申し出た時、マザーは言われました。「ありがとう。わざわざインドまで来なくてもいい。自分の周辺のカルカッタで喜んで働く人でいてください」

 愛を実践するということは、毎日の生活の中で、疲れ切った父母の手伝いをし、優しい心づかいをするということなのです。生き甲斐を失ったかに見える老人、祖父母に、生き甲斐を持たせることなのです。

 今や、何と多くの愛に飢え渇いている子どもたちがいることでしょう。心の病を患っている人々も。

 「単位」も出ない、何の見返りもない、周辺のカルカッタでの優しさ、手助けこそは愛の実践ではないでしょうか。実際「愛は近きより」Charity begins at home なのですから。