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母の後ろ姿

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 私の母は、12人の子どもを生みましたが、2人の男の子は嬰児や幼児の時に亡くなったと聞いています。それで私は、10人兄姉の末っ子として生まれ、育ちました。

 東北の雪国で温泉場が多く、母親は冬に子どもたちが風邪をひかないようにという配慮から、あまり寒くない時期に、よく近郊の温泉場に湯治に連れてゆきました。

 ある温泉場でのことです。姉の話によると、母親が私から眼を離した瞬間、よちよち歩きをしていた私が、旅館の欄干から下を流れる割合大きな川に落っこちたそうです。気がついた母は、びっくり仰天したでしょうが、すぐその川に飛び込み、幼児の私を助けたそうです。とっさに我を忘れて、子どもの命を助けた母の行動は、わが身を犠牲にしても私の命を救おうとした母の無条件の愛ではないでしょうか。

 母は、私が3歳の頃に亡くなったと聞いています。今、思い出せるのは、ある時、台所で生卵のてっぺんに穴を開け、健康に良いからと、私の口に注いで、飲ませてくれたことです。後は、若くして亡くなった母の遺体が、居間に安置され、父親や、兄・姉たちが祈っていた光景だけです。

 子どもにとって母親ほど偉大で、すばらしく、無限に優しく、すべてを包容してくれる存在はないでしょう。父親はそれなりに偉大ですが、「己を忘れて」他者に尽くす無条件の愛情では、母親に勝るものはいないのではないかと思います。すべての生き物は、無条件の愛情によって健やかに生き、成長し、活動するのです。

 私がカトリックが大好きなのは、聖母マリアの崇敬があるからではないかと思っています。