農家で育った子どもは、親が毎日、朝から晩までどれだけ苦労して働き、お金を稼いでいるかを間近で見ているから、大切なお金を無駄に使うまいという気持ちを持つのはある意味で当然だろう。「そんなことにお金を使ってはもったいない」ということだ。働きに対する感謝の「もったいない」と言っていいだろう。
そればかりでない、「自分は農民だから」と言って、華美な服を着ることもなく、ぜいたくな旅行に出かけたりすることもない。何年も、あるいは何十年も前に買ったような服やカバンなどを、後生大事に使っている。「そんなにいいものは、わたしにはもったいない」ということだ。謙遜の「もったいない」と言っていいかもしれない。
お金の陰にある苦労を知り、無駄遣いを嫌う感謝の「もったいない」と、自分を取るに足りない者とみなして華美や贅沢を避ける謙遜の「もったいない」。母の心には2つの「もったいない」が染み込んでいる。
不肖の息子であるわたしは、学生の頃、母が「もったいない」と言うのを聞くたびに「また始まった」と思い、「もうちょっと自分に甘くしてもいいのに」と感じていた。だが最近、気がつくとわたしもつい口から「もったいない」という言葉が飛び出すことがある。幸いなことに、わたしにも農民のDNAが引き継がれているようだ。