戦後のベビーブーム時代で彼女の助産師としての仕事は大忙しでした。一晩に2人のお産が重なって困ったこともあるほど大繁盛していました。助産師仲間から言われました。
「文具店は閉めて、助産師に専念したら」。
「それはできない。父ちゃんが苦労して始めた店をつぶすなんて」彼女は文具店と助産師との2つの仕事を続けたのです。
しばらくしてベビーブームは去り、助産師の仕事は減っていきました。ところが、ベビーたちは成長して、やがて小学生になり、文具店のお客様となって押し寄せてくれたのです。
新潟大火も新潟地震もありました。地震の後に、息子の大学進学が控えていました。親戚や友達から言われました。
「就職させたらいいよ」。
「それはできない。子供たちを大学へ進学させることは、死んだ父ちゃんとの約束だから」。
彼女は苦労して大学進学のためのお金を工面したのでした。
2人の子供は大学に進学し、卒業すると目指していた会社に就職することができました。
人生の岐路に立たされたとき、人から何と言われようと彼女は自分の信念を曲げませんでした。それが成功につながったのだと思います。自分の信念は決して曲げない。それは亡き夫と2人の子供への深い愛があったからだと思います。