小さな男の子を救ったのが、体力のある大人たちでなく、同じ無力な子どもであったとは。そう思って、私は胸を突かれた。だが、女の子にとっては、自然なことだったのだろう。女の子には男の子と母親のつらさがわかり、当たり前のように、二人へ心を傾けたのだ。身体は小さくても、その時、傾けて二人を入れた器はとても大きく、豊かだったに違いない。
男の子の母親は、身体を屈めて、女の子に御礼を言っていた。本当に嬉しそうに。育児の苦労や孤独が、どれほど軽くなっただろう。女の子も嬉しそうだった。子育てをしている母親も、愛情にあふれる豊かな心の器を持っている。思いやりをこぼし合っている二つの器は、豊かに輝いているように、私には思えた。