ふつうは、この自分の能力と望みの二つで決める場合が多い。「好きこそものの上手なれ」といわれるように「好き」と「上手」は一致することも多い。
けれど、もう一つあると思う。わたしにはそれがもっとも大事な要素ではないかと思える。
それは、自分がどこへ呼ばれ、招かれ、求められているかということである。自分が生まれ育った環境をとおして、自分がたまたま体験した出来事をとおして、あるいは自分が出会った人をとおして、自分はこの方向に呼ばれていると感じることがある。キリスト教的にいえば、呼んで招いているのは神さまであり、このように神の呼びかけに応えることを「召命」とか「召し出し」とかいう。仕事を選ぶということは、神さまから与えられた呼びかけに応えて使命(ミッション)を生きることである。
考えてみたら、自分にその仕事を選ぶ意志や才能があたえられていることも、神さまから与えられた召命のしるしであると言えるだろう。そして、ときにはその呼びかけは自分の能力を超えてたり、自分の好みや望みとは相反する場合もあるだろう。しかし神さまがしなさいといわれているからには、神さまがそれをできる力をあたえてくださるということを信じたらいい。
自分の持っている能力をはるかに超えた仕事をやり遂げた人の多くは、このような確信を持って仕事をいきた人たちであるとわたしは思う。