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自分らしく

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

あのとき、教会の集会室では喧々諤々、聖堂の玄関脇の大木を切るか切らずにおくか、論じ合っていたのでした。

創立当時は若木だった木もいまや大木となり聖堂の壁に枝葉を投げかけています。

「このまま伸びていけば危険である。事故がおこらないうちに切ったほうがいい」という説と、「まだまだ大丈夫。いったん切ってしまえばもとには戻らない。注意深く見守りつつ豊かな緑を大事にしたい」という説と。で、ひとりひとりどちらがいいと思うかを問われることになりました。

わたしの順番になると正直に「倒れかかって危険というなら切るのがいいし、自然はなるべく大事にしたいのでもうしばらく切るのを見合わせるというなら残せばいい」などといったようにおもいます。優柔不断?でもほんとうにこうでなくてはダメという考えにならなかったのです。そのあとで「みんなが、それぞれどちらがいいか決めたのに、どちらでもいいといったのはアナタだけ」と、ヒンシュクをかってしまいました。

苦しみに苦しみ、祈りに祈ったすえに英雄的な捨て身の決断をした人がいます。

列福された偉大なキリシタン大名、ユスト高山右近が出会った、大きな試練です。

高槻城主として織田信長と主君荒木村重とのあいだでジレンマに苦しんだ右近は、ついに城を明け渡せとせまる信長に逆らわず・・しかし城を明け渡せば多くのキリシタンを犠牲にしますから・・・城を明け渡さずにすむ道をとりました。右近は城の指揮を父に返し、頭をまるめて刀を捨て、ひとり信長に身を投じたのです。世捨て人として。

試練は終わりました。

この決断は、ゆるぎない信仰とキリシタンを救おうとの、右近の生涯をつらぬく姿勢ですね。