最近よく聞かれる言葉に、私はある種の危うさを感じています。それは「自分らしく輝く」という言葉です。
アピールが苦手な日本人気質を抜け出して堂々と生きていきましょうといった意味なのでしょう。しかし、言い換えるとそれは、常に人と違うことをして目立ち、盛り上がってアピールしていないと認めてもらえないことにもなるような気がするのです。
スポーツで歴史的な偉業を遂げる選手や、将棋で次々と記録を塗り替える棋士が現れたりすると、そうした突出した存在への憧れが生まれます。それ自体は良いことだし、目指してがんばるのも素晴らしい。
でも、突出していなければ価値がないとなると、話は違ってきます。
最近ネットで拡散して問題になる行動の背景にはどこか、この「目立っていないと不安」という心理が働いているように思えるのです。
天才も偉人も最初から偉業を成し遂げたのではなく、出した結果の何百倍も目立たぬ努力をしているはず。なのにそれがいつしか忘れられ、目立つ結果を追いかける風潮になってはいないでしょうか。
こうした危うさを避けるために、私はこの言葉を「目指す人格になる」と言い換えるようにしています。人と同じか違うかを基準にするのではなく、いまある自分の姿が私自身で納得できるかどうかを基準にするのです。そして、その状態で進歩でき、世界に広がりが出ていれば、「私は輝いている」と判断します。
造り物でない本来の輝きなら、一等星でも十等星でも同じく価値があると私は思います。慣用表現に惑わされず、本来の輝きを見つめて進んでいけることこそが、真の個性であり、輝きなのではないでしょうか。