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死者を偲ぶ

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

カトリック教会では、とくに11月の間、死者のためにミサをささげたり、お墓参りをしたりして、死者を偲び、死者のために祈ります。毎年完結する教会の暦の「終わりの時」と11月が重なるからです。

亡くなるときの状況に応じて、死者の偲び方もさまざまだと思います。たとえば、家族あるいは友人の誰かが急に亡くなった場合、遺族や友人は、毎日、そして、いつまでも故人を偲び続けるでしょう。時間が過ぎても、折にふれ、あるいは少なくとも命日には、死者を偲ばずにはいられないはずです。とくに年若い子どもを病気や事故で亡くした親御さんは、忘れることができず、生前生活していた部屋を当時のままにしたりします。

若くして急に亡くなる場合でも、年老いて長い闘病の末に亡くなる場合でも、死者を想う人の気持ちの強さは、生きているときの故人とのかかわりの深さに比例していると言えます。

人が亡くなると、故人との関係が親密で、深ければ深いほど、まずは、別れの悲しさと辛さを味わいます。わたしが高校生のとき、同級生が病気であっという間に亡くなりました。母親が棺の中のわが子にすがりつく姿を今でも覚えています。亡くなった事実を受け止めると、死んだ人の行く先を案じ、永久に幸せでありますようにと祈るものです。否、きっと天国で幸せになっていると確信したい気持ちになります。

そして、死者について想うことは、その生前の姿、言葉やしぐさ、生き方などです。死者を偲ぶということは、その人の生きていたときのこと、それもどちらかと言えばよい思い出に浸って、幸せに感じることです。それは、死者とのきずなを確かめ、強め、そして、いつまでも共にいたいという気持ちの表れ以外の何ものでもありません。