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母の後ろ姿

高見 三明 大司教

今日の心の糧イメージ

わたしの母は、明治43年、長崎は浦上のカトリックの家庭で長女として生まれ、それなりの責任を負わされて育ったようです。学校には妹たちをおんぶして行っていたし、上級学校に行きたかったけれども事情が許さず、あきらめざるを得なかったようです。

結婚はお見合いだったそうで、結婚相手とは結婚式の数日前に初めて会い、結局将来の夫をほとんど知らないまま結婚した、と母から聞きました。長崎市内でも、浦上は田舎の方でしたが、その母が結婚してわたしの故郷に来たときは「なんという田舎!」と思ったそうです。しかし、1580年頃キリスト教が入り、住民は禁教時代も潜伏しながら信仰を守り伝えたキリシタンの里でした。その意味では、浦上と同じでした。

母は、食べ物だけでも自分の働きで得るために田畑で1年中、一生懸命働き、子ども5人の家族を養ってくれました。わたしが3歳過ぎた頃のことだったと思いますが、断片的ながらこんなことを記憶しています。担い棒を使って物を運ぶためのわら製のかごがありましたが、わたしはその中に寝かされて、畑の脇のところにいました。小雪がちらつく寒い日でした。母は畑仕事をしていたわけです。母の家族思いと苦労をあらためて思い起こします。

クリスマス、復活祭、聖母の被昇天祭には、教会に行く前に下着から上着に至るまで一そろい、かおりただよう新品を身に着けたものです。それは、母が、兄弟5人分の新しい衣服を買ってくれたからできたことです。子供の頃は、どこかで当然と思いつつも、母が自分のためには一切新しい衣服を買っていないのに気づいて、申し訳がない気がしていました。

1985年に76歳で亡くなりましたが、母のことを思うと涙が止まりませんでした。