母は困った人を見ると、見て見ぬふりの出来ない人で、おせっかいかなと思われるほど人の世話をせずにはおられなかった。
だから私たち5人の子どもは、母の後ろ姿を見て育っているので、困っている人を見たら何かの形で手を差しのべないといけないと思っている。しかし、昭和20年代、30年代の我家のように、個人が個人を助ける時代ではなくなった。従って、個人を助けている団体に寄附をするということになる。
私は自分のこれまでを振り返って、母の百分の一も千分の一も人のために尽くしていないなという深い反省がある。
母にとって宿を提供する、食事を提供するということはごく当り前のことであった。
母が一番、重きを置いていたのは、その人の話をよくきいてあげるということであった。
「わたしは先生でも神父さまでも神さまでもなかけん、よか助言ができんばってんさ、でもさ、そん人ん気持ちに近づいて精一杯、きいてあげとっとよ」。
母は台所の流し台の前で、野菜をきざみながら、背後から打ち明ける話をあいづちを打ちつつきいていた。その白い割ぽう着の後姿には、相手に対する愛情がこもっているように私には見えた。