

シェイクスピアの四大悲劇のなかで、私はいちばん『ハムレット』が好きです。戯曲を読むこともあり、舞台もよく見に行きました。
ハムレットの有名な台詞の翻訳はさまざまですが、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」("To be or not to be,-that is a question:-")がよく使われます。
この、人間にとって、"to be"、「存在すること」が大切なのに、なぜハムレットは「存在すること」と「存在しないこと」を比べたりするのだろうかと思います。
シェイクスピアの戯曲は、タイトルも『
また、なぜハムレットは死の間際に「あとは沈黙」と言って死んでしまうのでしょうか。そんな「沈黙」という言葉は、私にとって人生とは空しいものだと感じさせてしまうだけでした。
十代の終わり、ほとんどのシェイクスピアの戯曲を読み、命を授かった恵みをためらうような作品に、私は心からの渇きを感じていました。
人間の存在を肯定する源が空っぽのような気がして、その渇きをうるおしてくれるコップ一杯の冷たい水が飲みたいと思ったのです。
そんな時、英会話のエリザベス先生が『新約聖書』のイエスの言葉を教えてくれました。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」(マタイ10:42)。
この「冷たい水一杯」という言葉が私を洗礼へと導きました。
自分の存在も他者の存在も肯定し、沈黙という名の広大な海が割れ、洗礼への道を示してくれたのです。
さらにこの言葉は、その後ずっと、今もなお、私の渇きを癒す「健やかさの源」になっているのです。