

教会が誕生した時、そこには当時知られていた世界中の人たちが集まっていました。
「聖霊降臨」の出来事です。聖書は次のように記しています。
「一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、...炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」(使徒言行録 2・1~4)
「人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。』」(使徒言行録2・7~8)
そこには、当時の地中海沿岸の地方から来た人たちや、アラビア、メソポタミアの地方から来た人々、そして、リビア地方やローマから来た人たちなどなど、様々な地方から集まってきた人たちがいたのです。教会はその誕生の瞬間から、多国籍の人たちの集まりでした。それぞれの言葉で神の偉大なわざが語られ、それをそれぞれの言葉で聞いたという出来事は、教会は生まれながらにして多様性を証ししていた、ということができると思います。
逆に言うと、多様性の中で一致の心をもたらすものは神の霊である聖霊だということができると思います。言葉や文化、生活習慣が違っても、聖霊において、私たちは一つになることができるのです。
多様性は教会と無関係なのではなく、多様性こそが教会そのものであり、これらを一つに結ぶのが聖霊であり、信仰なのです。そこに私たちは神さまのはたらきを感じることができ、一つになって信仰を証ししていくのだと思います。
一人一人が違うことは悪いことなのではなく、お互いを活かしていく豊かさがあるのです。