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ためらい

コリーン・ダルトン

今日の心の糧イメージ

 母はユーモアからか、ちょっとした不満からなのか、私が中学生の頃、私の部屋の扉に新聞の一コマ漫画をテープで留めたのです。

 そこでは、女の子がアイスクリームショップでフレーバーのメニューを真剣に眺めています。その足元には蜘蛛が巣を張りめぐらせています。

 ためらい。そこにはアイスクリームであろうが、深刻なものであろうが、いつも不確実さが伴います。自分の言葉や行いが正しいのかと思いあぐねていると、足元が凍りついてしまいます。この状況で適切なのか、自分にも周りの人々にもベストな選択なのかと。慎重にものごとを考えるのは自然で賢明なことです。

 でも、私たちは時間のなかに生きています。足元が蜘蛛の巣のべとべとした糸につかまったら、すべての道は閉ざされてしまうかもしれません。

 聖書にもためらいを見せる指導者が多くいます。

 モーセはヘブライ人をエジプトでの奴隷状態から救い出しますが、神から召命を受けると何とか応答するものの、考えすぎて行動に結びつきません。
 自信がなく、いざ神の民を前にして自分に従うよう諭すのに何と言っていいかわからず、人前で演説するのが苦手だと訴えます。

 モーセは不安で、恐ろしいのです。無理もありません。
 「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください」(出エジプト4・13)と願います。
 すると神は怒りだします。モーセの足元に蜘蛛の巣(ためらい)を見たのでしょう。終いに神の聖なる怒りが噴出。そして、魔法の杖と兄のアロンを支えとして遣わす約束によって、モーセがその物語の第一歩を踏み出すための一押しとなりました。

 ためらいの時、私たちは導きを求めて祈ります。それでも、不安なときには、時宜にかなった促しが必要になるのです。