

試練とは、生きている間に遭遇する、さまざまな苦難や失敗や困窮などを指す言葉です。どんな人も多かれ少なかれ、大小さまざまな試練に遭います。
しかしその時、失望したり落胆したりせずに耐え忍び、いつか必ず事態が好転するという希望をもって、日々些細なことにも努力を続けていきましょう。
私は寒い東北の小さな町に生まれました。両親を早くに失い、兄弟も散り散りに分かれて住み、学校では暴力やいじめもありました。しかし兄が中学体操部のキャプテンだったからか、私がいじめられることはありませんでした。けれども戦時中のため、やはり明るく楽しい日など、ほとんどなかったのです。
そのころの私の心の支えとなっていたのは、カトリック信仰でした。
部屋の隅で独り静かに「神さま、私を憐れみ、助けてください。あなたを信じ、愛しています。」と祈っていました。そのおかげか、今まで守られ、助けられてきたのだと思います。どんな試練でも自分の力以上のものは与えられません。
「思う念力、岩をも通す」という諺通りで、試練のとき、「自分にはこれを乗り越える力も智慧もある。当たって砕けろ、という意志さえ持ち、チャレンジすれば、必ず成功し、乗り越えられる」と、そう確信することです。
私は学校を卒業後、出版業をしていた兄の会社で働きましたが、話すことが苦手でした。しかし周囲の人は皆、弁舌さわやかで、コンプレックスから心の病になりました。しかし、祈りの中でこのままではいけないと思うようになり、思い切って話してみると、心が軽くなってうまく話せるようになりました。
私自身、試練のとき、このようにして生きてきました。