

神さまは私たちの心をすべてご存じなので、私たちを試みることはありません。しかし、何らかの体験を通して、自分は神への信頼や人への愛が薄っぺらであったと思い知らされることがあります。もう少しましな人間だと思っていたのに、そうではなかった、と気づかされるのです。
神さまは私たちを愛し、益となることは何でもしてくださいます。「あなたの姿はこうだよ」と教えてくれるのです。もっと謙遜で、もっとまっとうな人になるためです。
自分の本当の姿を見ることに耐えられないほど未熟なときには、神さまはそっとしておいてくださいます。
しかし、成長し、ある時期になるといろいろな試練が始まります。たとえば、神さまのお望みよりも、目に見える人の評価を宝物にしている人が、評判が落ちる程の大失敗をすることもあるでしょう。
社会的な地位を頼りにしている人が病気になって、以前のようには仕事ができなくなり、同じポジションを保てなくなって、生きるのが辛くなることもあるでしょう。
これは神さまが私たちを「わが子」として扱っておられる証拠だと思います。このような鍛錬を受けると、自分が何も持たない者、神さまの愛によって生かされている者だとわかってきます。
そして、本当に大切なことは、人の評価や社会的な立場などではなく、自分の力を惜しみなくほかの人のために使える人になること、つまり、愛することだとわかってくるのです。
神さまはお優しい方です。試練のときにその人が大切にしているものを取り上げたとしても、誠実な友人を何人も与えてくれるなどして必ず慰めを送ってくださいます。