

人は誰でも人生で、様々な辛い出来事に出合うものです。
病気、事故、災害、愛する人との死別、家・財産の喪失など。まるでその人の生き方や信念を問う試練のように、私には思えます。
試練について考えるときに私が思い出すのは、旧約聖書の「ヨブ記」です。
主人公ヨブは、家族も財産も多く、裕福で神を敬う正しく善良な人でした。そんなヨブを見て、あるときサタンは神を挑発します。彼が神を敬うのは恵まれているからにすぎない、すべてを失えば信仰も崩れるはずだ、と。
神は、サタンがヨブを試すことをお許しになりました。
そのため、ヨブは一夜にして家族、財産、すべてを奪われ、全身の皮膚病に冒されます。善良な男に、突然、理不尽な試練が襲いかかったのです。悲しみに暮れる彼のもとに三人の友人が訪れ、その苦しみは罰であると主張します。
しかし、神はヨブが見返りなしに神を敬う人であり、試練にあっても信仰を捨てない人だと知っておられました。
ヨブは神との対話によって、謙遜に自らの小ささを悟り、神の前にひれ伏します。その結果、彼は以前よりも豊かな財産、新しい大家族、長寿を与えられ、祝福されたのです。
この聖書物語を通して、私は考えます。人は生きている限り、様々な試練を受けねばならないが、それは神からの罰ではないのです。
神は沈黙されているように思えても、決して私たちを見捨てられているのではありません。愛情深い親が子どもの成長を願うように、私たちが試練を乗り越えるのを見守っておられます。
私たちが自分の弱さを悟り、謙遜に願えば、試練を乗り越える恵みと力をくださるでしょう。
そして試練の後には、より大きな幸福を与えてくださるのです。