

時々、あ、これは、ひょっとして神様から私の信仰を試されているのかも、と思うことがあります。しかし、その一方で「愛である神様が、この弱っている私を試すなんてことはなさるはずがない」とも思います。
昔、若い頃、南米のチリに旅をした際、反乱軍の暴動に巻き込まれ、命にかかわるような体験がありました。無事に帰国できましたが、考えてみると、ブラジルで薔薇農場を経営していた従兄の忠告を無視して、チリに向かった私に原因があったのです。
これと似た危険な体験を、私は随分としてきました。自分の知識不足が原因なのに「神様の試練だなあ」などと勝手に解釈してしまう私が、実に愚かだったと、すっかり自信がなくなってくるのを感じます。
人生の折々の場面で、どのように解釈しながら生きていったら良いのでしょうか?
青春時代、大学を卒業して社会に飛び込んだ頃の出来事、そして90歳になる2026年、日々、身辺に起きる出来事、新聞をにぎわすさまざまな事件や世界の政治情勢、これらのニュースを、どのように捉えればよいのか、心乱れる毎日が続きます。
世界や身近な出来事を解釈する内容いかんで、私に日々の幸福感が変わっていくのが分かります。出来事の解釈をどうするか、その考え方を決める難しさが、私に与えられた神様からの試練のように思えます。
湧き出す感情が激変する日々、かといって、無関心になるのは不幸の始まりです。日本と世界の出来事や、身辺に起きる出来事、体験などをどのように解釈すればよいのか、日々神様に祈り続けています。