

大切にしている本がある。オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルによる『夜と霧』だ。1946年に発表された本書は、フランクル自身のアウシュヴィッツでのホロコースト体験を綴った内容であり、今では名著に数えられている。
僕は学生時代にこの本と出会い、大変なショックを受けたことを覚えている。
特に目から鱗が落ちたのは、フランクルが強制収容所の地獄で、〈人生〉と〈自由〉について問う一節である。
あらゆる身体的強制の中で、彼は自身に問いかける。「自由とは本当は何か」と。そしてこう結論する。収容所のような不自由の極致にあったとしても、それでも〈自由〉は残る。それは「この不条理をどのように受け止めるのか」という、精神の〈自由〉である、と。
今日の労働を・拷問を・僅かな食事を、あるいは死を、どう受け止めるか、その〈自由〉があるというのである。
なんという境地だろうか...。この真理は半世紀の時間を経て、僕の心に届き、それ以後、僕の人生も映画も、このフランクルの発見に支えられ続けている。
そもそも、私達の生命とはすべて、不自由に・不条理に決定されたものだ。人生には
やがてフランクルはこう続ける。『「人生に期待する」のは間違っている。逆に、「人生こそが私に期待しているのだ」』と。
これは言わずもがな、神が私を見つめておられるその慈愛に満ちた眼差しを想起させるものだ。
本書『夜と霧』の原題は「それでも人生に
人生が不自由であるとき、私は「招かれている」と思う。
もし自由であるなら、「然り」と答えるためかもしれない。