

「神よ、御ひとり子はすべての人の弱さと貧しさをご自分の肩に背負われ、神秘に満ちた苦しみの価値を、わたしたちに示してくださいました」――これは、ある「病人のための祈り」の冒頭の一節です。
私たちは、人間の自然的感情からすれば、できれば苦しみは避けたいと思います。にもかかわらず、私たちは、自然災害・人災・病気など、自分の意志とは関係なく、実にさまざまなことを体験します。なぜかは、わかりません。その意味で、苦しみは、一種の神秘と言ってもいいのかもしれません。
しかし大切なのは、その背後に、何らかの意味を観ることができるかどうか、ではないかと思います。確かに、苦しみは、自分に与えられたものです。しかし時として、自分一人では担いきれないような苦しみもあります。そのような時、私たちは、周りの人々の助けを必要とします。それは、お互いに助け合うことの大切さを学ぶ時となります。
パウロは、語ります――「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6・2)
キリストの律法とは「互いに愛し合うこと」(ヨハネ13・34)にほかなりません。その意味が身をもってわかるのは、それ以前にイエスが、私たちの弱さや貧しさ、そして重荷を担ってくださったからです。
苦しみの体験――それはもしかしたら、それによって私たちが、この愛を知るためなのかもしれません。
イエスは、語ります――「友のために自分のいのちを捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15・13)
捨てるとは、惜しみなく与えるということ。彼は実際、自らが十字架を担うことによって、それを示しました。(参 ヨハネ19・17)