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担い手

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 少子高齢化が社会的問題となっている今、農業、漁業、畜産など様々な分野で、将来の「担い手」をどのように育てていくかが課題になっています。

 「担い手」という言葉は、「担う」と「手」という言葉から成り立っており、「担う」は「重いものを肩に乗せて運ぶ」という意味があり、「手」は、実際にその行動を実行する人を指しているようです。

 「担い手」のことばの意味を(ひもと)いていたら、イエス様の十字架を担ったクレネのシモンのことが、ふと思い浮かびました。
 彼はイエス様の弟子ではなく、ただあの時、田舎から出てきて通りかかっていたところを、兵士たちに無理に十字架を担がせられた人物です。あの時、クレネのシモンはどんな思いだったのでしょうか。

 イエス様に浴びせかけられる民衆からの暴言が、まるで自分に向けられているような思いに駆られ、〝なぜ自分が〟と屈辱を感じていたかもしれません。しかし、教会はのちに、彼が教会の一員となったことを伝えます。

 自分のためなら重いものでも軽く感じる時がありますが、それが他者のため、しかも誰かの十字架の一端でも担うことは、時に不利益としか思えない時があります。
 しかし、何の準備もなく突然、十字架を担うことになったクレネのシモンがそうであったように、思いがけない出来事が人生を変える体験になることもあります。

 日々の日常生活の中で、社会を変えるほどの「担い手」になることはできないかもしれません。

 しかし、誰かの痛み、悲しみ、苦しみの一端をほんの少しでも担う時私たちは知らないうちに神様に近づき、神様の愛によって、自分自身が変えられていっているのかもしれません。