

日ごろわたしたちは「お祈りしております」「祈ってくださいね」と口にすることがあります。時に、それが挨拶のように使われることがあるかもしれません。
「わたしのために祈ってください。頼みますよ」
以前、重責を担われたある方から真剣に願われたことがありました。わたしは覚悟を決めた、とでもいいましょうか、その御意向をしっかりと心に受け止めました。祈り手として小さい存在ですが、その御意向のためにすべてを捧げる心で祈り始めました。
それからしばらくして、私は事故に遭い、全身を打撲。頭も強く打ったので、まともに読み書きも出来ない状態になりました。その時わたしは「あの方から託された祈りの使命を担うためにはこれくらいのお捧げが必要だったにちがいない」と静かに思いました。
古今東西、小さな人間であるわたしたちが偉大なる神さまへ願い事をするとき、牛や羊などの
イエスさまはそのような捧げものに代わって、十字架上で自ら生贄の捧げものとなってくださいました。そして、そのイエスさまについて行くわたしたちは、イエスさまの十字架にあやかるべく、自分の十字架を担いながら歩みます。
心の中で一言つぶやくだけでもわたしたちの思いは神さまに聞いていただけますが、それにプラスして、イエスさまのように〝担い手〟として祈りを捧げると、祈りの意向のなかにある方たちに神さまから復活の喜びと祝福が届くのでしょう。
神さまの愛がこの世界にもっと知られるように、神さまの望まれる秩序がこの世に実現するように、イエスさまに倣って、自分自身の具体的な痛みや苦しみを担いつつ祈りたいと思います。