

「人がこの世にいるのは何のためでありますか。人がこの世にいるのは、天主を認め、愛し、これに仕え、
子どもの頃、五島の福江教会の「けいこ部屋」と呼んでいた教会学校で公教要理を学んだことが、私の一生を運命づけたと思っている。
それでは、天国へ行くにはどうしたらいいのか。その具体的な行動は聖書のマタイ伝25章に記されている。
「わたしの父に祝福された人たち、さあ、世の初めからあなた方のために用意されている国を受けつぎなさい。あなた方は、私が飢えていたときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいたときに訪ねてくれたからである。」
イエスさまは「あなた方によく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者のひとりにしたのは、わたしにしたのである」とおっしゃっておられる。
五島の私の生家は福江島の中心地にあったのにもかかわらず、年中、玄関に鍵をかけることはなかった。
「夜中に誰か困った人が訪ねて来るかも知れんけん」というのである。
おひつに白いご飯をきらすこともなかった。
「いつ、お腹をすかした人が来るかもしれんけん」というのが父母の言い分であった。
昭和20年、30年代は我が家だけではなく、五島の家々の人々は常に困った人には手を差しのべなければならないと、ごく自然に思って暮らしていた。
当時、聖書がある家はほとんどなかった。我が家にもなかったので、父母は、マタイ伝25章のイエスさまの御言葉は知らなかった。
しかし、自分たちの出来る善意を精一杯尽くしていた。
天国への道を信じて・・・。