

私が小さい頃、母は自分が「広い肩をもった人」broad shouldersであると諭しました。この英語の表現は普通 誉め言葉で、多くの責任を負って、同時に多くの仕事をこなせる人を指します。母は自慢好きな人ではないのですが。
幼い頃、家庭で母はこうした言葉をやさしく愛情をこめて話してくれました。私たちが失敗や後悔に耐えて、自ら乗り越えてゆけるよう辛抱強く助けてくれたのです。
失敗や後悔は心の内でおこる葛藤です。誰かが解決してくれるような実際の問題とは違います。どれだけ才能にあふれ、善意のある人であっても解決できません。これは私たちに重くのしかかる問題なのです。ときに長期にわたって、自分とは切り離せない問題として受け容れるまで続きます。
誰か頼れる人がいると、重荷を軽くしてくれます。私たちはこうした経験を少しずつ編み込むことで、自らのアイデンティティという織物を仕立てていきます。
この「頼れる人」という表現はキリスト教由来のものではなさそうです。でも使徒パウロもガラテヤの信徒へこうした言葉を送っています。
「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6・2)
当時、信徒らはイエスに従う者として新たなアイデンティティを模索し、いかに生きるかを見極めようとしました。パウロはこうした共同体に書き送ったのです。
今日私たちは、当時の人々とは異なる時代に生き、別の問題を抱えています。それでも「キリストの律法を全うする」使命は、私たちが「頼りになる人」になっていけるように精進することに変わりません。
私たちが人々の重荷をやさしく背負おうとするとき、この復活節の希望と新たな命のメッセージを宣言しているのです。