

5月、母マリアの月ですね。ふと思い出すのは、古びた箪笥の上に置かれたマリア像の前で、ロザリオを手にしながら、いつも居睡りしていた母の祈りの姿です。電灯の光の漏れ来る寝間の襖の隙間からそれを見ると、「お母さん、早く寝なよ!」と少し怒るように言っていました。
一緒にお祈りする事からは逃げていましたが、疲れていても「こっくこっく」としながら祈る母に声を掛けると、返事はいつも「今何か言った?」でした。
或る夜、私は自転車で外出。暗い坂道で自転車同士のぶつかり事故、喧嘩に成り、頭に怪我をして、近所の医院で傷口を縫い、また喧嘩に戻ったことがありました。
何とか周りからの仲裁も入ってけりが着き、夜中に家に戻った時、お祈りでは居睡りする母親が、遅くまで私が帰らないので心配して起きていました。
玄関に出てきて包帯姿の私を見ると、何も言わずに玄関わきの部屋に寝ていた弟達二人を起こして、玄関に座らせました。
「あなた方が、ちゃんと夜の寝る前のお祈りをしないから、お兄ちゃんがこんな目に遭って!」と、お叱りです。
私に直接怒られるより何か響きました。それで今も忘れません。
食べ物の無い戦後(もう80年も経ちますが)、着るものもない時、子育て・生活の大変な時代。疲れ果てても祈る姿と、きょうだい・隣人の為の祈りの無い事を指摘する母親の心はどの様な心だったのか。
懐かしくも、きりっと背筋を整える思い出です。常に母親との思い出の深みを探りながら、その心へ近づきたいです。
人間、