ある3月半ば、小学2年の女の子がシスターと、古ぼけた桜の木の幹を眺め、新しく芽吹いたつぼみを見つけては、「今日もまた増えたね」と喜んでいます。冬の間、死んだように見える木が、大自然の生命力で再び美しい花を開かせる春、教会は主キリストの「復活」を喜び祝います。罪や死に打ち克ち、再び立ち上がらせていただくこの「復活体験」を、私たちは七転八倒の歩みの中で体験すると思います。
私が子どもの頃、一人の若い神父様は病弱で、辛いはずなのにいつも優しくて、でも自分に厳しく、何か熱心に祈っている。その姿が私の心に憧れの「種火」をつけてしまいました。私もあのように...と踏み出して20代でつまづき、でも30代になっても、鎮まったり燃え上がったりするその「種火」を消すことができません。それで大神学校入学をその神父様に相談すると、「やめとけ」と言われ、代わりに大学の寮で舎監だった神父様に相談しました。迷う私に神父様は、「神は意地悪、でも悪意はない」とのアインシュタインの言葉と、「人は偶然の出来事によって豊かにされる」との神学者パンネンベルクの言葉を引いて、「時間のプレッシャーで焦って物事を決めるな。試行錯誤するうち、しっくりする時が来るから」とおっしゃいました。
その後、絶妙なタイミングでの出会いと導きで大神学校に入学し、私は司祭にされました。その神父様は「神は曲がった線で直線を描く」とよくおっしゃっていました。「種火」を温め再起できたのは、そんな恩人を通しての神さまの導き故だと思います。
失敗や苦難も栄光に変え、再び立ち上がらせるお方への憧れを私たちが強め、芽生えた貴い志を大切に育てることができますように。