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思いやり

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 以前住んでいた町に、一坪ぐらいのアクセサリーのお店があって、そこに赤いザクロのようなガラスで編んだ十字架のイヤリングがあった。気になっていたが、無難なアクセサリーを買って10年以上が過ぎた。お店のご主人もその赤い十字架は売れないと思ったのか、ガラスケースの端に置き直していた。

 私はある時、ふいにその赤い十字架のイヤリングを買った。十字架なので司祭に祝別してもらった。

 それからまた10年以上が風のように過ぎ、子どもの頃に一緒に絵を習っていた幼なじみを思い出した。ブティックの店長をしている彼女だったら似合うと思い、郵送した。すごく気に入ったと電話が来た。

 しばらくして、彼女のダンディな息子が急病で帰天してしまった。電話で彼女の悲しみに耳を傾け聞いていた。1カ月を過ぎた頃に電話をすると、落ち着いてきたとのことだった。そんな時、彼女から写真が送られてきた。あのイヤリングはペンダントになっていて、彼女は白いレースの洋服に赤いペンダントをしていた。そして私とおそろいにしたので送ったというのである。彼女の思いやりに胸が熱くなる。幼なじみとのおそろいというのは特別だ。

 イエスの血で編んだような十字架のペンダントをする時、幼い頃一緒に習った絵の先生が、2001年9・11の同時多発テロの前年に帰天するまで、ニューヨークのポップアート界で活躍したことを思い出す。

 先生は、米沢で画材屋の2階にあるアトリエで子どもたちに絵を教えていた。先生は時おり窓の外を見て、きれいな女の人が通ると狭い急な階段をダダダダッと降りて見に行っていた。

 幼なじみの思いやりとともに、先生の子供のような感性を忘れないようにしたいと思っている。